不幸を選択してしまう癖

昔からずっとそうだ。

例えば、役職決めの時。

 

学級委員が決まらない状況が嫌で手を上げる。というのは建前であった。

本音は周りのやりたくない人がなるくらいなら僕がやろうかなという自己犠牲の思いである。

 

これを話すと「お前は優しすぎる」という人がいるがこれは優しさではない。

 

きっと、自分が一番不幸になることで、クラスの空気を良くすることで必死なのである。

 

自分が空気を壊すのが怖くてこの選択をとってしまうのだ。

つまり人のための選択と見せかけて、これは自分のための選択でしかないのである。

 

この選択をする限り

僕は一生、不幸を背負って生きていくことになるだろう。